ベースメント18

●本日は下北沢BASEMENTBARの下石主税(しもいし ちから)店長にお話しを伺います。本日はよろしくお願いします。
まずはBASEMENTBARはオープンしてどのくらいになるんですか?

今年で21周年かな。

●結構長いんですね。ずーっとこの場所でやっているんですか?

1995年の5月からだから、21周年ですね。去年が20周年だったから、今年の5月で21周年ですね。

その時からTHREE(系列店のライブハウス)は隣にあったんですか?

いやその頃はなかったみたいで、ここだけではじめはやってたみたいで、隣はなんか焼き鳥屋とか入ってたみたいです。

あっ、そうなんですか!?上のカクヤス(お酒配達屋)はもうその時からあったんですか?

カクヤスはどうだったんだろう…俺がベースメントバーに入ったときにはもうあったね。

あっ、ホントですか。主税店長はいつ入ったんですか?

2002年ぐらいに入ったから、ベースメントバーができて7年とかに入ったんだね。

そのときからカクヤスがあったんですね。なんか目印になりますよね。カクヤスの地下がベースメントバーだよっていう。

うん。そうだね。

ベースメントバーが21年やっているなかでオープン当初から店長は何人か代わられたんですか?

オープンから俺が入る年まではクラブで、ぜんぜんステージとか無くて、DJブースだけあってっていう感じで、ステージを作ってライブハウスにしようっていう時に入ったから、その前は何人か店長がいたんだろうね。その頃はね何回か遊びに来たことがあったけど、誰が店長かっていうのはわからなかったからね。

主税店長がいくつのときに店長になられたんですか?

店長になったのは32歳のときだったかな。

●その時はDJブースがあったんですね?

入った時はもうこの形になってた。入る2~3ヵ月前にここを改造したみたいで。
最初はバンドやってたからバイトで入ったんだよね。他のライブハウスの店長が「下石くんライブハウスが一個できたみたいだけど、スタッフ探してるから働いてみなよ。」って言われて、で紹介してもらって入ったって感じだね。

DJブースがあったときはよく遊びに来ていたんですか?

よくっていうかねー、深夜2回ぐらいかな、遊びに来てたのって。

●クラブで夜中まで騒ぐっていうかんじだったんですか?

うん。その頃は夜しかほとんどやってなかったんじゃないかな。

●なんでライブハウスに変わったんですかね?

隣に、今はTHREEだけど、クラブWEDGEっていうのを作って、たぶん俺が入る1年前ぐらいなのかな。で、片方はライブハウスにしようみたいな感じで、こっちはライブハウスにしてむこうはブースだけのクラブにつくってってかんじだったね。

●なんか不思議な感じですね。ベースメントバーがクラブだったイメージがなかったので。そういう空間だったんですね。

このステージにしてもう13~14年は経っているんだろうね。

主税店長は何でベースメントバーで働こうって思ったんですか?

その頃はバンドやりながらバイトをしてて、パスタ屋さんとかで働いてて、ライブハウスで働かないかって誘われたときに「音楽やっているんだったら音楽の場所で働くのも面白いかな」って思って働きはじめたんだよね。でも最初はバイトだったからね。バンドやりながらどうなるかっていうのは分からなかったし、ましてや店長になるなんて予想もしてなかったしね。

そのときは音楽でやっていきたいっていう想いでいたっていうことですよね?

そうだね。

バイトで入った時はそんなに長くやるつもりはなかったんですか?

長く続けるっていうかバンドやっているいじょう仕事しとかないといけないから、一緒に並行してやってたんだけど、そしたら渋谷にも系列店ができちゃってLushとHOMEっていうライブハウスがね。そこに店長が移っちゃって、じゃあどうしようってなったときに「下石君やってくれ。」って店長に言われて、「ああ、そっか…」っていう(笑)

それで店長に任命されたんですか?

そうそうそう。

ベースメントバーに入って何年目ぐらいだったんですか?

入って3、4年目ぐらいだったかな。でもまあ入った時からライブハウスのブッキング担当だったから、たいして仕事的には変わるっていっても別に変らなかったけどね。

店長をやってくれって言われたときはビックリしましたか?

そうだね…でもやっぱり…そうなっちゃうんだろうなって。(笑)この流れからして。(笑)

それは働きながら感じてたんですか?

働きながら「新しい店舗ができる=この店長が動くな」みたいなのは予測してたけどね。(笑)

他にも色んなスタッフがいる中で「ぼくが店長になるかもしれない」っていうのは感じてたということですか?

そうだね。まあ一番長かったからね、その時点で。

スタッフは頻繁に入れ替わるかんじだったんですか?

やっぱり、みんな学生のバイトが多くて、バンドやりながらやっている子もいるから、まあ3年ぐらいしたら替わっていくよね。

いつぐらいからバンドから店長っていう方向が強くなっていったんですか?

どうなんだろう。でも店長やりながらもけっこうバンドもやってて、だから両方は無理なのかなって思ってたけど、でもバンドやりながらの方が色んな風景も見れるし、ココばっかりじゃなくて色んなライブハウス行ったりツアー行ったりするとやっぱり地方のライブハウスも見れるし、その分なんか両方見えるっていうのは面白いかなっていうのもあったけどね。

いまでもそのバンドはやってらっしゃるんですか?

もう固定のバンドっていうかガツガツやるっていうバンドはやってなくて、いまは従業員と一緒にソウルとかファンクのカバーバンドを月1でやってるかんじかだね。本腰でっていうバンドはもうやってないね。

店長として働きながらも地方とか色んなライブハウスに行けたっていうのは、店のスタイルとして「バンドやっているんだからライブ行ってきていいよ」っていう感じだったんですか?

でもツアー行くっていっても1週間空けたりっていうのはなくて、最大2~3日。そこにイベントを入れてスタッフに仕切りを任せていけばイベントは始まるもんね。(笑)

ベースメント3

先程ファンクのバンドを月1でやっているって言ってましたが、一番最初はどういう音楽に影響を受けたんですか?

一番最初はね、最初はドラムだったの。地元が広島なんだけど、ドラムってカッコいいなっと思って、高1のときの夏休みにバイトしてドラムセットを買って、高校のときはずっとドラム叩いてたね。

「ドラムってカッコいいな」って思ったキッカケは何だったんですか?

その頃…誰だろうな、でもX JAPANのYOSHIKIとかユニコーンのドラムの川西幸一とか、爆風スランプのドラムのファンキー末吉とか、なんか情報量がないじゃんね昔は。インターネットとか無かったから。夜中にイカ天(いかすバンド天国)とかやってて「うわっ、ドラムってカッコいいな!」って思った。音がどうのこうのってより叩き方がカッコいいなみたいなイメージをもったかな。で、色んなバンドのコピーとかして、でも夜中とかはドラム叩けないからギターとかを弾いて、両方やってたね。ギターとドラム一生懸命練習してたね。

部活はやってなかったんですか?

部活もやってたけど、部活っていっても18時、19時ぐらいには終わるじゃん、で田舎だから帰ったら何もすることないから楽器の練習してたね。

家族はそれに対してなにも言ってはこなかったんですか?

うるさいなみたいな感じだよね、やっぱり。(笑) ドラムは響くからね。(笑)

ドラムはなかなか練習する場所がないですもんね。(笑)

一応ハイハットにタオル挟んでミューしてとか工夫はしてたけど、相当うるさいだろうなって思ったね。(笑)

バイトしてドラムセットを買ったってことですよね?

そう。ドラムセット買ったんだよね。当時スゴイ安いセットを買った。たぶん8万円くらいだったんだろうな全部で。高校生で1ヵ月バイトしたら10万円いくかどうかのラインだったんだけど、貯めて「よし!買える!」って思って、町の楽器屋さん行って、バスドラとスネアとツータム、フロアとハイハットとライドしかなかった。あとは付け足してみたいな感じだった気がするな。

自分の部屋に置いたんですか?

そう。一軒家だったから自分の部屋みたいなのがあって、自分の部屋っていってもそんなに広くないから、ベットと勉強机のところにドラム置いたらギリギリでもうほとんどスペースなんてなかったね。

●それでもドラムを置いて練習したってすごいですよね。

もうほんとに練習の仕方とかわからなかったから、とりあえずドラムセットなかったら練習できないでしょっていうのが頭にあったから最初は。とりあえず何か買わないと練習できないなと思って。スタジオとかも近くになかったからね田舎で。電車とかで町まで行って、そうすればリハーサルスタジオはいっぱいあったけど、そういうのもあんまりわからなかったかえらね。

本当に情報って昔はなかったですよね。

そう。インターネットとかあればねよかったんだろうけどね。当時の雑誌の「バンドやろうぜ」とか読んで勉強してたんだろうね。楽器屋さん行って教則本とか買った気がするな。

●習ったりはしなかったんですか、全部独学だったんですか?

そう、独学で、教則VHSとか買って見よう見まねでやってた気がするな。

そのハングリー精神だったから出来るっていうのはありますよね。

そうだね。でも今思えばもっと効率の良いやり方なかったのかなって思うけどね。(笑) まわりにもドラムやってるっていうのがいなかったからね。吹奏楽部とかああいうクラブのスネアの人とかはいたけど、ドラムはいなかったな。

そこからどんどんバンドを組んでいったんですか?

そう。バンド組んでいった。学校にも組んでるバンドがあって、でも田舎で町から離れていたから、町のヤツと組まないと意味ないなと思って、どうやって連絡先を知ったのか忘れたけど、町のバンドマンと連絡をとって、「とりあえずライブやろう!」ってなって、そこから練習に明け暮れた。

●どんなバンドのコピーをやってたんですか?

一番最初に学校のヤツとやったのはユニコーンとかだった気がする。ジュンスカ(ジュン・スカイ・ウォーカーズ)とかBOOWYもやった。イカ天世代だったね。

そうやってドラムをどんどん上達させていったんですね?

上達したのかな…?自分では上達したかはわからないけどね。

その後オリジナルの曲をやるバンドを組むわけですよね?

本気でやるバンドを組みたいと思って、そしたら広島から出ないとダメだなと思ってた。それには大学行くしかないでしょと思って、でも高校のときなんか全然勉強してなかったから、受けたものの現役で受かるはずもなく、1浪して東京の大学に来て、そこからまたバンドを組んだってかんじかな。

●東京に出てきて本気で音楽をやる名目として東京の大学に行きたいと思ったわけですね?(笑)

そう。(笑) 高校卒業したら、とりあえず家でないとダメだなと思って。でも音楽の専門学校とかも考えてたけど猛反対をくらって、東京に行くんだったら大学か就職しろみたいなかんじかな。とりあえずは大学行っときたいなって思ってたからね。

そこからはバンド三昧ってかんじですか?

そうだね。音楽ばっかりやってたね大学のときは。大学の音楽サークルに入って、こっちはスゴイ情報量だなってい思った。全然知らない音楽の情報が入ってくるから。

環境が違いますもんね。田舎から都会に来たらビックリすることだらけだったってことですよね?

スタジオはもちろん、ライブハウスもいっぱいあるしね。すごいバンドもいっぱいいて、あの時はビックリしたな。ビックリしたっていうより聴く音楽っていっぱいあるんだなって思ったね。高校の時ぐらいはハードロックがすごく流行ってて、ガンズ・アンド・ローゼズとかメタリカとかスラッシュメタルっていわれるやつとかのハードロックが全盛期で、でも高3のときにニルヴァーナがでてきて、いきなり時代が変わったみたいになってたんだけど、大学1年生のときにカート・コバーンが死んだのかな。あっという間に死んじゃって、ビックリしたよね。でもその頃って聴く音楽がいっぱいあったよね。オルタナティブっていうか、なんて言うんだろう…オアシスとか出てきたり、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンとかみたいなのが出てきたり、レッチリ(レッド・ホット・チリペッパーズ)とか出てきたり、メロコアとか出てきたり、すごい聴くのがいっぱいあり過ぎて、そういう好きなジャンルのCDから借りまくって聴いて、色んなバンドのカバーとかコピーとかして、でもその頃からドラムよりベースの方が面白いんじゃないかって思いはじめて、ベースに転身したんだけどね。

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